3次元・4次元での「許す」在り方ではなく、
5次元以上の「許す」とは、どういう在り方なのか?
マスターたちにとって「許す」とは、どんな感覚であり、どんな状態なのか?
深夜3時半過ぎ、思いがけず起こされた私は問うたのです。
多分、それに対する応答なのだと思います。
2025,09,09 = 999
朝起きて、唐突に腹落ちしたのが、これでした。
自分の内にないものは体験できない。
現実として立ち現れてくる事象そのものは、
本来、何の意味もなく、真にニュートラルな現象でしかない。
その事象を、どう受け取るか?
その事象に、どう意味づけするか?
その事象を、どう解釈するか?
事象への意味づけ、解釈、受け取り方によって
「体験する内容」が変わる。
スピリチュアル界隈では、あまりにも定番になりすぎている言説だから、
何度も聞き、何度も目にしてきた知識。
アタマではとっくに知っていたこと。
でもその体感を、今朝やっとというのか、初めてというのか、
本当にその通りだ、
というか、
そうでしかないのだなと、
腹落ちたのでした。
(でもまだ、本当には全然わかってないんだ、きっと。)
自分の内にないものは、体験できない。
自分の内にあるものを使ってしか、
私たちは外の事象を「体験」として判断できないし、「体感」できない。
誰かに対する許せない思いの体感も、
大嫌い!という反応の体感も、
すべてはひたすら自分に対して感じていたものでしかなかった。
そう分かったのです。
ま、それはそうよね。
だって、
外の誰かに対してだろうと、自分に対してだろうと、
「許せない!」「大嫌い!」という思いの時に感じている体感は、
外に向けていようが自分に向けていようが、
常に自分の内でしか起きていないわけなのだから。
そして私は、
その「許せない!」や「大嫌い!」という体感を感じることによって、
外に見る現象を「許せない!」「大嫌い!」という体験として捉えて
体験してきただけだった。
全ての体験には、本当は無限に解釈できる可能性があり、
捉え方の違いで、体験は全く別のものになる。
でも私たちは、
もはや自分がなぜその反応をするのかすら意識することなく、
条件反射的に同じ反応をし、
繰り返し繰り返し同じ体感を感じ続けてきた。
「無意識」で自動的に、本当ならば違う体験として受け取ることもできる現象にも、
同じ体感で反応することで「また似た現実」を体験し続けてきた。
そして今、目醒めを選択した人や存在たちが向かっている次の次元では、
「望んだ以上の最高の人生を生きることができる!」と言われている。
けれど、それは必ずしも「大好き!」と喜び溢れる現象だけが、
常に目の前に勝手に立ち現れてくるということではない。
現象そのものは、これまでもこれからも変わらず、
真にニュートラルな事象でしかない。
もちろん、現実の事象が自らの放つバイブレーションがカタチとして現れるという点でいえば、
自分がより居心地の良い体感で常に振動していたならば、
より居心地の良いと捉えられる事象が人生に立ち現れてくる。
けれどその事象もまた、やっぱりあくまでもニュートラルであって、
そこには本来、何の意味はない。
だからこそ、望んだ人生をクリエイトしていくというのは、
立ち現れてきた事象に対して、
それがどんな現象であれ、
常に意識的に受け取り方を選択していくということ。
思考も体感も意識的に選択することで、
その現象から得られる体験を、
自ら意識的にクリエイトしていくということ。
現実には、「良い」も「悪い」もない。
そして、それに対して反応する「何か」――思考でも感情でも、でも結局は全て「体感」なのだけど――がなければ、
私たちは目の前に現れた事象に反応することすらなく、
ただ過ぎ去っていくことになる。
注意を向けるからこそ、
そして、「それ」に無意識的であれ意識的であれ、何かしらの意味づけをするからこそ、
「体験」として「体験」することができる。
この壮大にも思えるアセンションの道のりは、
けれど所詮、魂の計画している全体の、ごくごく1ステップにしかすぎない。
けれど、このステップを確実に、着実に、丁寧にこなして体験し尽くさなければ、
その先の、さらなる壮大なプランは、始動すらしないんだ。
2025,09,09
私たちは、ようやくここまで来た!
さあ、
ここからいよいよ加速していく新しい世界を、
全ての瞬間を意識的に選び続けて、クリエイトしていこう!