と、急に激しく疑問に思った2025/12/9のmemoノオト。
具体的な仕事の内容ではなく、「仕事してお金を得る」全体的なシステムに対しての疑問。
会社に勤めるにしても、自分でビジネスをやるにしても、
時間と労力と能力を差し出して誰かをお助けして、その対価としてお金を得る。
っていうのが、今の常識的な、最も定番のお金の得方。
差し出すものが極めてゼロなお金の得方って、偶然拾う、くらいか?
宝くじに当たる、贈与や相続でお金を得るにも、買いに行く労力や、お金なり、(仕事とは違ってはいるものの)奉仕なりの先行投資が必要なわけで。
お金とは対価交換で得るもの
もっと言うと、
お金は誰かからもらわなければ得られない
それでしかお金が得られないって、いったいぜんたい何でなのさ???
って、本当に不思議になってしまったのですよ。
まぁ、そもそもがそういうシステムとして作られたって話なんだけど。
でもさ、錬金術的にお金を手から出せないとしても(私は出せるレベルの錬金術マスターになりたいのですマジで!)、
たまたまお金を拾いまくってもいいわけだし(交番に届けるべきかどうかの話は置いておいて)、
なぜかポストに入ってたっていいし、朝起きたらなぜかあるっていう得方をしたっていいんだよなって。
何も、律儀に誰かからもらう方法だけに固執しなくたってさ。
本当に制限がない世界では、先に何も差し出さなくても、理由なくお金を得ることだって可能なんだよなって、思ったわけです。
とはいえ、いくら「お金はエネルギー」って言ってみたところで、どうしたって「お金」という物体に引きずられてしまって、
いきなり出現するとか絶対有り得ないと思ってしまうので。
ならば、クレジットカードの支払い金額数字や、
チャージ残高で思ってみたら、わりともっとすんなり「自由」に捉えられると思うのです。
実際、ほとんど忘れている私は、
わりと「あれ?なんか分かんないけど、使いすぎた体感の割にはそうでもないじゃん!」とか、
逆に「えー!今月そんなに使ってないのに、なぜこの金額⁈」な体験が去年あたりからめちゃ増えてたりします。
お金の使い道をきちんと管理して把握して〜ってやってた時もあったけど、
なんか管理すればするほど支出が増えるという(節制していたのに!)、不本意なストレスフル状況となって、「もうやめた!」と投げたのでした。
必要コストが大きすぎる説もあるのだけど🤪
その投げ出しも、少し前までは、お金が足りなくなる支払えないかもしれないことがあまりにも恐ろしすぎて、目を背けていただけだったのだけど。
でも監視をやめてみたら、数字が曖昧に変動してる感覚があって。
だからこそ、常にリチャージしなくても残高数字が充分有り続けるって状態なら、物理的に貨幣を出現させるよりずっと実現できそうだなって思ってたりします。
今日の、お金を得る方法の制限に新たに気づいたハッと感で、果たしてどんな風に変化していくか!
楽しみだぜ!というmemoノオトでした。
もうさ、みんなさ、お金持ちになろうぜ!私はなるよ!