2025/10/09の記録
今朝、歩いていて、しみじみと気づいたのです。
私は本当に自分のことだけしか考えていなかったし、
自分のことだけしか見ようとしていなかったし、
けれどその「自分」のことすら、全く何も分かれずにいた、と。
いつ何時も、ワタシ!ワタシ!ワタシ!
たとえどんなに「他のため」なんて言葉を使っていたとしても、
私はいつだって自分のための「他のため」だったし、
とにかく今までの私の全ての在り方は、ひたすら自分のことしか考えていず、超絶な自己中行動だったと、なんというか、体感で分かった。
。。。上手く表現できないのだけど。。。
たとえば、絶対乗り遅れられない電車に乗り遅れそうなギリギリの時に、全く余裕ゼロで周囲たちの迷惑などそっちのけで、ひたすらぶつかって、押しのけて、突進していく――
そんな感じの在り方ばかりしていたと気づいた。
それに気づいて、本当に私は、めちゃくちゃ狭すぎる、目の前のほんの一部分だけを捉えて、世界を分かった気でいたのだとも気づいた。
なぜ「これしかない!」と、あれほどまでに頑なに「それだけ」にこだわりまくって、「それだけ」を掴み続けようとしていたのか。
選択肢は、いつだって他にも無数にあるのに!!!
ま、局所しか認識できないがゆえにこそ、
「これしかない!これをキープしなかったら、これを失ってしまったら、きっとものすごく恐ろしい大変なことになってしまう!!!」って、
恐ろしくてたまらなかったからなのだろうけど。
そうやって、あまりにも、今目の前にある、顕微鏡的な超絶に狭い視野で認識しているものにこだわり続けることで、それ以外の可能性を全て見ない、ないことにし続けてきたんだと、体感として、まだまだほんの少しかもれないけど、分かった。
その在り方こそが、本当はめちゃくちゃたくさんある他の選択肢にも、
たとえ他の選択肢が、目の前に超デカデカと現れていたとしても!
全く見させず、気づかなかったんだ。
私こそが、自分の宇宙を狭めていた張本人で、
私こそが、自分の人生のありとあらゆる可能性を徹底的にぶっつぶしていたんだ。
すべては本当は、本当にずっと与えられていた。
けれど私はあまりにも自分のごく局所的な部分しか見ようとしなかったがゆえに、
あらゆる他を見ようともしなかったし、気づこうともしなかったし、気づけなかっただけだったんだ。
今朝目が覚めて、はじめに浮かんだ思いがこれだった。
私はいったい、何にそんなに怯えて、何をそんなに恐れていたのか?
何も怯えなければいけないことなんか起きていないし、
起きるかもしれないコワイコトって言ったって、ぶっちゃけたかが知れてるわけで。
昨夜と今朝のあいだに、またひとつ、恐怖が解放されたんだと思う。
なんだかとても冷静な、どっしりとした意識の感覚でした。
この体感を忘れないように!