2026/02/16
解放というよりも、ふとした理解という感じの方が近いかも。
小さい頃の私はずっと、どこかで母の「犠牲になっている」フラストレーションを感じていて、
私がいなければ――
と、ずっと、罪悪感というのか?ギュウと縮こまって消えてしまわなければ!という感覚で生きていた。
私が存在しているから、私を育てなければならないから、私の面倒を見なくてはならないから――
って。
でも今朝ふと理解したのは、
母が「犠牲になっている」なり「自由になりたい!」と感じ続けていた(いる)のは、
本当には私とは全く関係なかったし、関係ないということ。
母はただ、「自由になりたい!」という思いを持ち続けて、フラストレーションを感じ続けていただけなんだ。
それは、私がいるかどうかの問題ではなく、初めから母が感じていたことで、そして感じ続ける選択をし続けていただけのこと。
それに対して、私がや贖罪的な意味での責任を感じる必要なんて、なかったのだということ。
母を背負って生きる在り方を、また一つ終えられた。