2025/10/21の気づきメモ。
敬愛なる神聖な光の存在である皆さまは、どんな気づき発見をしてますでしょうか?
今年の前半に牡羊座入りした海王星が、今日からまた魚座に戻りました。
というのに関係があるのか、ないのか?
昨日ふと、無価値感について冷静に考えてみて、
価値があるって、何だそれ?
ていうか、価値がないってことこそが、何だそれ???
と思ったんですよね。
だって、たとえばコンビニでも自販機でもユニクロとかでもいいんだけど、
同じ商品(メーカー違いとかじゃなく、本当に同じ商品!)って、ずらっと並んでますでしょ。
で、それらひとつひとつを見ながら、
「コレには価値があるけど、隣のコレは価値が劣る。後ろのコレは――」
なんて判断しないわけです。
ま、もちろん100%完全にすべて同じってわけではなく、厳密にはビミョーに違うのでしょうけども。
だからこそ、
どれも同じだけど、でもなんとな〜く、ソレよりコッチのがいいかも?
みたいな感覚で選んだりはするかもしれないけれど。
でも、同じ商品=基本的に同じということになっている今の社会の通念上でいえば、
世の中に超たくさん「コピー」があるモノだとしたって、その一つ一つにどれにも等しく価値があると私たちは考えているわけです。
ならば、
この宇宙で唯一無二の現れである「自分」が、「価値がない」あるいは「価値が劣る」って考えって、
ものすごーーーく変だと思いません???
今まで私、何の疑問も抱かずに、何かにつけて思ってました。
「私には価値がない」
「私には◯◯する価値がない」
「あの人には価値があるけど、私には価値がない」
今日もナチュラルに繰り返していたのに気づいて、
あーコレもベースは無価値感だよなー。。。ん?ていうか「無価値」って、何だそりゃ???
価値がないって、、、、何だそりゃ?????
って、価値がある/ないって考え自体のヘンテコさに気づいてしまったわけなのです。
何かの「価値」というのは、本来、判断する人の状況や心情によっていかようにでも変化する、とってもあやふやなものだと思うのです。
ていうか、そもそも、「価値がない」ってこと自体があり得ない。
常に私たちは、何かの価値を決める際には、「そのモノには価値がある」ってところから判断をスタートさせている。
違いがはっきり比較できる対象がまったくない場合――たとえば、同一商品群から好きなのを一つ選ぶ、みたいな場合は、
「コレには価値があるけど、隣のには価値はあるか?」なんて考え一切なしに、そもそも価値があることが前提でテキトー(心惹かれるまま、あるいは身体の動くまま)に、どれか一つを選んでいるんだと思うんです。
ていうか、欲しい=価値を認めているからこそ、なわけで。
100万歩くらい譲って、その時の状況や心情、好みによって「アレに比べて、コレは価値が劣る/勝る」=価値の優劣や上下を判断することはできるかもしれないけど。
なんか上手くいえないんですけと。。。
ま、とにかく!
無価値って考え自体が、そもそもオカシクね?
価値がないって、何だそれ???
価値が「ある」とか「ない」とか、そういう判断をしようとする発想自体が、めちゃくちゃヘンじゃね?
と、極めてキョトンとした今日なのでした。
つまり、まぁ、アレです。
「価値がない」って、あり得ない!
だから、すべての現れには価値がある!
です。